金子 忠彦氏

      
 モデラー:金子忠彦   仙台市在住  仙台RC所属 RC歴30数年


     
  
 小学校入学前から木を削ってソリッド飛行機作りに熱中し、また当時数少ない航空雑誌に見入
 って空にあこがれていました。中学生になって自転車を買ってもらってからは近くの羽田飛行
 場に日々通い、ダグラスDC7・ロッキードスーパーコンステレーション・ビッカースバイカウ
 ント・デハビランドコメット等、当時最先端の飛行機の向こうにある遠い世界に夢を馳せてい
 ました。
 高校生になってもその夢はおさまらず、蛇腹カメラを持って羽田へ通い続けました。 

 高校の隣では東京タワーの建設が始まった、そんな時期でした。この工事にも随分と通い、た
 わいもなく眺めていました。その影響で私は飛行機への夢を忘れて土木屋になってしまったの
 です。その後、首都高・東京五輪と東京中が工事現場で、私も土木学生として勉学に 励んでい
 ました。?たぶん?
 
 時は過ぎて、飛行機を忘れて仕事に明け暮れる日々、単身赴任先でふとしたきっかけでポンコ
 ツ号タローを購入してから、忘れていた夢にいっぺんに火が付き,以来この道へどっぷりと足を
 踏み入れることになりました。末は60スタント機を,と10年間の製作と墜落の甲斐あって、
 60オーロラを飛ばす腕になりました。
 しかし毎回の画一的なパターンに飽きてしまい、 どう飛ばそうが自由で論評もされないスケー
 ルに舵を打ちかえました。
 
 想像して計画する喜び・予想して作る喜び・夢見て飛ばす喜び。なんと崇高で面白く 魅力的な
 んだろう。
 スケールの世界は素晴らしい。
 ここ10年は複葉機の魅力に取りつかれて、フルスクラッチに日夜没頭しています。
 
 いま、目の前の作業台には,終の飛行機としていたソードフィッシュが次の作業を待っています。
 私自身まだ元気でいられそうなので,製作意欲を駆りたたせる次の飛行機を探して、スケールの
 楽しい旅はまだまだ続きます。



      
戻る   目次へ戻る   ホームへ戻る
50年前の羽田飛行場
50年前の羽田飛行場 (周囲は殺風景・ ただ原っぱ)
当時最先端の飛行機の向こうにある遠い世界に夢を馳せていた。
 
中学生時代の愛読書
中学生時代の愛読書 昭和30年代当時数少ない航空雑誌を見て空にあこがれていました。
 
ソッピース キャメル
平成 7年 ソッピース キャメル (OS−52)
 
カーチス ジェニー
平成11年 カーチス ジェニー (OS-70)
 
RAF SE5a
平成13年  (OS−70)
 
ニューポール 17
平成14年 ニューポール 17 (OS−120)
 
ダグラス スカイレーダー
平成15年 ダグラス スカイレーダー (こんなときもありました)
 
フォッカー D7
平成16年 フォッカー D7 (YS−140)
アンリオ HD1
平成18年 アンリオ HD1 (SAITO-180)
ソッピース ストラッター
平成19年 ソッピース ストラッター (SAITO−270 2気筒)
RAF BE2C
平成20年 RAF BE2C (YS−140)
93中練
平成21年 93中練 (SAITO−170 3気筒)
フェアリー ソードフィシュ
Coming Soon  フェアリー ソードフィシュ (SAITOー170 3気筒)
フェアリー ソードフィシュ−1
Came in  フェアリー ソードフィシュ (SAITOー170 3気筒)
フェアリー ソードフィシュ−2
Came in  フェアリー ソードフィシュ (SAITOー170 3気筒)
フェアリー ソードフィシュ−3
Came in  フェアリー ソードフィシュ (SAITOー170 3気筒)
フェアリー ソードフィシュ−4
Came inn  フェアリー ソードフィシュ (SAITOー170 3気筒)
フェアリー ソードフィシュ−5
Came in  フェアリー ソードフィシュ (SAITOー170 3気筒)
戻る   目次へ戻る   ホームへ戻る