フィーゼラー・シュトルヒ


フィーゼラー・シュトルヒ
シュトルヒの開発は1935年にドイツ航空省から出された要求で始められ、フィーゼラー社における開発は
設計主任のラインホルト・ミューズと、技術主任のエーリッヒ・バッヒェムによりなされ、シュトルヒは
短距離離着陸性能で他の競争試作機を圧倒した。
高揚力を得るために低速時にはエルロンもフラップと同様に下げられ、主翼前縁の固定スラットは翼の全幅
にわたり設けられ、エレベーターは低速時の効きを維持するために下面前縁部にはスラットが装備され、
このようにして得られた非常に低い着陸速度は、正面からの強風時にはほとんど垂直の着陸を可能としていた。
長い主脚はどこでも離着陸できるように450mmのショックアブソーバーを備え、飛行中は長い脚が下がり,
独特の形態を見せた。またトレーラーで運ぶ際の便を図って主翼は後方に折りたたまれる。
戦時中はカッセルのフィーゼラー工場で1937年から1945年まで生産され、戦後はフランス、チェコ
、ルーマニアでも生産された。総生産数 2900機以上
本機の異色の活躍にはイタリアの独裁者ムッソリーニを、幽閉されていたグランサッソ近くの岩だらけの山
の山頂から、たった80mの滑走距離で救出したり、大戦末期にはロシア軍に囲まれたベルリン市内の広場
に着陸して、リッター・フォン・グライム空軍元帥を救出した女性飛行家ハンナ・ライチュの飛行が有名。
資料写真はイギリスのコスフォード、ダックスフォード、フランスのムゼー・デラエールで撮影。
      諸元一般
         乗員 2名
         全長 9.9m
                  全幅 14.3m
         エンジン アルグス空冷直列8気筒 240馬力
         性能 最大速度  175Km
         武装  MG15機銃 × 1 

      
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