ホーカー・シー・フュリー


  ホーカー・シー・フューリー
ホーカー・シー・フューリーは、イギリス海軍の最後のプロペラ式戦闘機で、過去に製作された
最速のピストンエンジン装備機の一つ。第二次大戦中に開発され、サー・シドニー・カムの設計
で、試作機は1945年2月21日に初飛行し、第二次大戦終了後の1945年2月21日に就
役した。
ホーカー・シーフューリーは、成功作である第二次大戦中のタイフーンとテンペストに続く機体
で、原型フューリーは1942年にシドニー・カムによってテンペストの軽量化型として開発さ
れ、テンペスト同様の半楕円形翼を使用し、胴体はテンペストに似ているが、高い操縦席と良好
な視界を持つ完全なモノコック構造の機体となった。  
最初の空軍型フューリーは、1944年の9月にセントーラスXUとロートルの4枚羽根プロペ
ラを装備して飛行し、次いで最初のホーカー・シーフューリー試作機がセントーラスXVエンジ
ンを装備して1945年の2月21日に飛行した。
この試作機は着艦フックを装備していたが、折り畳み翼は未装備だった。
第二次大戦の終了に伴い、空軍のフューリー開発は中止され、開発の中心は海軍型のシー・フュ
ーリーへと移って続行され、最初の生産型シー・フューリーFMk10は1946年9月に飛行し、
1947年に空母の運用が認可された。 
スピットファイアの海軍型スーパーマリン・シーファイアは、視界不良と離艦と着艦を難しくす
る狭い脚間隔のゆえに母艦運用に向いていなかったので、ほとんどの艦でシー・フューリーFM
k10と交代した。   
その後FMk10型はシー・フューリーFB11戦闘爆撃機型に替わり、1953年にジェット
機時代のホーカー・シーホークとスーパーマリン・アタッカーが導入されるまで、イギリス海軍
の第一線戦闘爆撃機として使用され、ホーカー・シーフューリーは1955年に退役するまで8
60機が生産された。
写真の機体はイギリス、ヨービルトンの海軍航空博物館に展示されているFB−11。
   
     諸元一般
        乗員    1名
        全長    10.6m
        翼幅    11.7m
        最大離陸重量   5.670Kg
        エンジン   ブリストル・セントーラスXVU 
               18気筒空冷2重星型 2.480馬力
        性能   最大速度   740Km
             航続距離  1.127km/1.675Km(補助タンク2ヶ)
        武装   4×20mm 機関砲
             12 × 3インチ ロケット 
             爆弾 907Kg


      
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