リパブリックP47サンダーボルト
リパブリックP47サンダーボルトは、機首の形状から「ジャグ:水差し」と愛称され、1941
年5月6日に初飛行、1942年に生産が開始され、生産数は15.686機に達し、1955年
に州空軍から退役するまで使用された。全装備した場合にはその重量は8トンに達し、当時の最大、
最重で、最も高価なピストンエンジン付きの単発戦闘機となった。P−47は第二次大戦における
アメリカ陸軍航空隊の主要戦闘機の一つとして、戦闘機もとより地上攻撃機としても活躍した。
リパブリック社はP−43ランサーに続き、一般に知られているP−47とは異なる、XP−47、
XP−47Aに続いて、より大きく新しい機体を1940年の6月に9月に提案し、陸軍航空隊は
このモデルを有名なP−47の原型となる、XP−47Bの呼称で試作機を発注した。
完成したXP−47Bは、前作のP−43よりも65%も大きくなり、設計者のカルトベリは「こ
いつはダイナソアー(恐竜)だ、格好の良いダイナソアーだ」といったと伝えられている。
1941年5月6日に初飛行したXP−47Bは、2000馬力のプラットアンドホイットニー
R−2800ダブルワスプ2重星型18気筒エンジンを装備し、試作機は663Kmの速度と4.
600mまでの上昇時間5分以内という性能を発揮し、P−47Bとして制式採用された。
その後リパブリック社はP−47Bの改良に努め、P−47C、与圧式操縦席付きのXP−47E、
層流翼を装備したXP−47Fの開発が行われた。
最初のP−47Dは基本的にはP−47Cだったが、P−47はこの時点まではレザーバック風防
で後方視界が悪かった。イギリスのホーカー・タイフーンが、全視界のバブル風防を付けて好結果
を得たので、P−47にも胴体後方を変更し、バブル風防形式に変更し、燃料容量を増した機体が
P−47Dとして生産が開始され、1944年の5月に配属が開始された。
写真の機体は、カリフォルニア州チノのプレーンズ・オブ・フェイム所属のP−47C。
諸元一般
乗員 1名
全長 11.00m
翼幅 12.42m
最大離陸重量 7.938Kg
エンジン プラットアンドホイットニー R−2800−59
空冷2重星型18気筒 2.538馬力
最大速度 697Km
航続距離 1.290Km/2.900Km(フェリー時)
武装 8×12.7mm ブローニング機銃
|