メッサーシュミットMe−163B

      

 原型のメッサーシュミットMe−163Aコメットはアレキサンダー・リピッシュによ
り設計され,1941年10月2日にハイニ・ディットマーの操縦で初飛行した。
 テストでは1004.5キロメートルの非公式世界速度記録を出した。5機のAシリー
ズが製作され、続いて8機の先行生産型A−0が製作された。
 主剤T液と酸化剤のC液を使用する新型のHWK109−509ロケットの開発に伴い、
1941年末にメッサーシュミットMe−163Bが計画された。この燃料は危険性が大
きく、荒い着陸に伴う燃料もれは火災と爆発を誘発した。
 400機ほどのメッサーシュミットMe163B−1にはMK108 30mm砲が装
備された。メッサーシュミットMe163は、通常型のピストンエンジンを装備した戦闘
機の性能をはるかに凌駕していた。
 200マイル(320キロ)で離陸後は、およそ42マイル(680キロ)の上昇速度
に達するまでは低空飛行し、その後70度の角度で上昇しすみやかに迎撃する爆撃機の高
度まで上昇したが、必要に応じてより高い高度まで上昇した。40000フィートまでは
3分で上昇でき、その後は550マイル(880キロ)以上に加速し、この速度は当時の
連合国の戦闘機では太刀打ちできなかった。
 その薄い翼は初期のジェット機が遭遇したような空気の圧縮効果や他の空力上の影響は
受けず、それにも増して、この機体は操縦性に優れて安定しており、主任テストパイロッ
トのルドルフ・オピッツの言によれば、「その時代の戦闘機の周りを飛行しながら一回り
できた」とのこと。
      
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