パイパーL−4グラスホッパー

      

    パイパーL−4グラスホッパー
  パイパーJ3カブは、1941年に軍用機として諸種の要求を盛り込んで、O−59の呼称で
  軽観測機として採用され、その後1942年に連絡機の呼称であるL−4となった。
  陸軍ではL−4を使って練習グライダーの研究がTG−8の呼称で行われ、また海軍も救急看
  護機としてNE−1の呼称で使用した。
  その頑丈で簡潔な構造は信頼性が高く、本来の目的と共に訓練機としてもその後数十年に亘り
  数カ国で戦中および平和時に使用されることとなる。
  L−4の生産は1981年に終了したが、一説によれば総計5700機が生産されたとも言わ
  れている。
  いずれにせよ、グラスホッパーのシリーズは第二次大戦と朝鮮戦争における米軍へ多大な貢献
  をした。


      
戻る   目次へ戻る   ホームへ戻る

戻る   目次へ戻る   ホームへ戻る