グラマンF3F−2

 グラマンF3Fはアメリカ海軍に納入された最後の複葉戦闘機、1936年に就役し、
1941年まで使用された。
 アメリカ海軍は前作F2Fの安定とスピン特性の不良から、F2Fの就役前1934年
10月15日に改良型であるF3Fの開発契約をグラマン社に発注した。この機体は戦闘
機のみならず、地上攻撃能力も要求され、F2Fと同じプラットアンドホイットニーR−
1535エンジンを装備し、胴体は延長され、翼も初期型に比較して増加された。車輪直
径の減少は胴体の流線化に寄与し、F2Fのカウリング直後の突出をなくした。
 試作機番号9727は1935年3月20日に社のテストパイロットであるジミーコリ
ンズによって初飛行が行われ、その日は3回の飛行をおこなった。
 2日後に6回の急降下からの回復飛行が実施され。そして10回目にテスト要求である
14Gを証明するために8000フィートからの降下、引き起こしをおこなった。機は空
中分解して墓地に墜落し、コリンズは墜死した。2機目の強化された試作機が製作された
が同じ年の5月9日にスピンからの回復が出来ずパイロットが脱出後に墜落した。2機目
の試作機は3週間で修理され、1935年6月20日に再飛行し、その後54機のF3F
−1が戦闘機としての審査に合格して8月24日に発注された。
 グラマン社ではより強力な加給式ライトR−1820エンジンを装備したF3F−2の
自主開発を開始し、81機の発注は初飛行2日前、つまり1936年7月25日になされ
た。より大きなエンジンはカウリングの形を変え、より太い印象を与えたが、最大速度は
高度3658メートルで410キロとなった。
 全てのF3F−2の生産は1937−1938に行われ、引渡しが終了した時には全て
の海軍及び海兵隊の追撃機隊はグラマンの単座戦闘機で装備された。
 整備のためにグラマン社に帰ったF3F−2の1機には、より一層の空力的な改良が行
われ、それがXF3F−3となった。1938年6月21日に、海軍は新型の単葉戦闘機、
ブリュースターF2AやグラマンのF4Fワイルドキャットの開発が予想よりも遅れるの
を見越して、改良型のF3F−3を27機発注した。
 ブリュースターF2A−1の導入により、海軍の複葉戦闘機時代は終わりを告げ、11
7機が1943年までは訓練や雑用に使用されたものの、1941年の末までには全ての
F3Fは部隊の配備からは撤退した。数機のF3Fは陸軍航空隊でフェリーパイロットの
訓練に使用された。
 グラマンF3F−2の内1機が1940年8月29日に空母サラトガに着艦しようとし
てサンディエゴ沿岸に不時着水した。機は1988年6月に潜水艦により発見され、19
91年4月5日に回収された。機体はサンディエゴエアロスペース博物館で復元され、現
在はペンサコーラ海軍博物館に展示されている。写真の一部は復元作業中の同機。
      
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