ノースアメリカンB−25ミッチェル

      

  B−25ミッチェル
B−25は第二次大戦のアメリカ双発爆撃機中もっとも成功し、約11.000機も
生産されて世界中のあらゆる戦線で活躍した。
B−25の計画は1938年の陸軍双発中型爆撃機要求によって開始された。
本来のB−25とは形態の異なる原型NA−40は1939年に初飛行したが、原型
は事故により破壊されたので、その後軍からのいくつかの改善点を盛り込んで新しく
設計された機体NA−62は現在のB−25の形態となった。B−25の第一号は1
940年8月19日に初飛行したが、試験の結果横安定に欠点があり、その結果外翼
の上反角がなくなって特長のある軽いカモメ形主翼となった。  
続いてB−25A型、B−25B型と改良発展し、最終形のH型まで生産された。
B−25の名を歴史にとどめたのは、16機のB−25Bが空母ホーネットに搭載され、
ジェームス・ドゥリットルを指揮官として日本から1200Kmの洋上から発進し、
東京、横浜、名古屋、神戸を奇襲したことで、戦史をかざる快挙として知られている。
資料写真はカリフォルニアのチノ飛行場で飛行状態にあるB−25J型、海兵隊の使
用機を想定したトライカラーに塗装されている。他の機体はレストア中の機体。
  諸元一般 (B-25J-NC)
     乗員   6名
     全長    16.1m
     全幅    20.6m
     全備重量  15.8トン
     エンジン  ライトR−2600−29
           1700馬力 × 2
 性能     最大速度   438Km
     武装     12.7mm機銃 × 12
            爆弾   1.360Kg

      
戻る   目次へ戻る   ホームへ戻る

戻る   目次へ戻る   ホームへ戻る