ボーイングB−17


  B−17
B−17はアメリカで最初に大量生産された4発爆撃機で、大戦中にヨーロッパ、太平洋等と、あらゆる戦場で使用され、とり
わけ映画「メンフイス・ベル」「頭上の敵機」など、ヨーロッパの戦いで、ドイツの工業地帯にたいする昼間精密戦略爆撃の場
面と重なる印象が強く、現在に至るまで最も記憶に残るべき航空機の一つとされている。
B−17の試作機原型ボーイングモデル299は1935年7月28日に初飛行し、この機種に対する軍の競争試作では、競合
するダグラスDB−1とマーチンモデル146に対してはボーイングの設計は明らかに優れており、軍はその高価格に多少の難
色を示したが正式に採用された。
その後の開発に伴い最初の試作機は事故で失われたが、増加試作機のYB−17の製作が行われ、より強力なエンジンライトR
−1820を装備した制式採用された最初のB−17が、1941年12月7日に就役した。
真珠湾攻撃の後に生産は加速的に増加し、B−17は1945年の5月に生産が終了するまでに12.700機が生産された。
B−17はしばしばB−24やイギリスのランカスターと比較される。
B−17は、これらの機種に比較して爆弾搭載量は少なく、航続距離も短いが、飛行は容易で、高高度飛行性能に優れ、戦闘時
のダメージにも強かった。
B−17は生産上いくつかの大きな設計の変更があり、増加試作型のYB−17,そしてより洗練されたB−17Fとなり、最
終的に正面からの攻撃に対処するために、機首下部に12.7mm機銃2丁の動力砲塔を装備したB−17G型に集約され、こ
の型だけで8.680機が生産された。
派生型としてはエンジンを液冷のV−1710を装備したXB−38,爆撃機援護のために多銃装備したYB−40があるが、
XB−38はエンジンの不足により更なる開発は破棄され、YB−40は、その搭載する11.000発の弾薬は通常のB−17
Fよりも4.5トンの重量増加をもたらしたため実用にはならず、爆撃行にP−51の援護がはじまると同じく破棄された。
別にUボートの基地を攻撃、破壊するために、5.4トンの爆薬を搭載した無線操縦のB−17もテストされたが、この機体の
飛行中に空中で爆発する事故があり、パイロットを務めていたJFケネディーの実兄が死亡するというエピソードを残している。
     諸元一般
        乗員    10名(パイロット、航空士、爆撃手、航空機関士、銃手、無線係等)
        全長       22.66m
        全幅       31.62m
        最大離陸重量   29.7トン
        エンジン   ライトR−1820 空冷星型 1.200馬力 × 4
        性能    最大速度       462Km
              巡航速度       293km
              航続距離      3.219Km
        武装    12.7mm 機銃  ×  13
              爆弾最大       7.8トン


      
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